秋田新太郎とは何者?wiki風プロフィールは?
秋田新太郎さんのwiki風プロフィールですが
- 生年月日:1985年
- 出身地:大阪府東大阪市
- 大阪府立高津高校 卒業
秋田新太郎さんはフェイスブックにて、10月23日に誕生日を祝う動画を投稿してたそうなので、生年月日は1985年10月23日の可能性があります。
もしそうなら、年齢は39歳の可能性がありますね。
そんな秋田新太郎さんの経歴は
秋田新太郎さんは幼少期から学業が優秀で、大阪屈指の進学校・大阪府立高津高校に進学し、高校時代はラグビー部に在籍していました。
ラグビーでは大阪の高校選別に選出される程のレベルだったそうです。
2004年に大阪府立高津高校を卒業しました。
2023年3月13日の講談社の記事にて、高校時代の秋田新太郎さんの噂について書いてあります。
将来を嘱望されていたが、学生時代からトラブルも多かった。進学校である高津高では起きることのない暴力事件を起こし、相手を血まみれにし無期限の停学処分を受け、警察に逮捕されたこともあった。
その際は少年院には入らずに済んだが鑑別所へ送られ、進学は断念せざるをえなくなった。
引用:講談社
ただ、こちらの情報に関しては真相は不明です。
秋田新太郎さんは
高校卒業後は光通信グループの大手上場企業の営業職に就職し、電話でのアポイント取りなど営業について教えて貰います。
その後、始まったオール電化商品・太陽公発電事業で営業トップの成績を叩き出し、住宅機器販売のデジコムにヘッドハンティングをされ、200人程の社員の中で営業成績トップを叩き出し、統括部長に就任します。
ただ、デジコムの社長と幹部が大阪府警に逮捕された影響でデジコムが倒産し、2009年1月にエステート24ホールディングスを大阪市中央区に創業しました。
創業した会社は、東日本大震災後にブームが到来した再生エネルギービジネスの影響で、在宅向けの太陽光発電装置の販売を主軸に売上高135億円を誇る企業に急成長します。
2013年5月16日の講談社の記事にて、秋田新太郎さんが創業した会社の売上について書かれてて
設立の翌年2010年12月期の売上高は15億4,400万円で経常利益が1,100万円。11年12月期には売上高は73億4,200万円に跳ね上がり、経常利益は2億1,200万円。直近の12年12月期は、売上高135億5,200万円、経常利益5億800万円を達成した。
大手住宅販売会社と組み、太陽光発電機器の自社ブランド「WORLD SOLAR」を販売する。全量買い取り制度の追い風を受け、全国47カ所に営業拠点を持ち、300人の営業部隊が売りまくった結果が、右肩上がりの急成長だった。
とかなりの好調でした。
当時の秋田新太郎さんは2023年3月13日の講談社の記事にて
- 高級車のマイバッハに乗り、大阪のタワーマンションの自宅だけでなく東京の六本木ヒルズにも家があった
- 本業以外にも、関西コレクションや東京ガールズコレクションなどのファッションショーの大口スポンサーにもなってた
- 当時はネオヒルズ族として有名だった与沢翼さんと比較され、「東の与沢、西の秋田」との評まで出回った
と書かれています。
ただ、同記事にて会社の事業拡大に向けて、銀行からの資金借り入れに課題を抱えてた事が書かれています。
暗転するのは2014年のことだ。周囲には向かうところ敵なしに見えた秋田だが、さらなる事業拡大に向けて銀行からの資金借り入れの課題を抱えていた。
逮捕された?
大阪地検特捜部が秋田新太郎さんと側近の男の2人を逮捕しました。
そして、大阪高裁で2015年7月に懲役3年執行猶予5年の判決を受けました。
グループ会社の売上などを計上して決算書を粉飾し、みずほ銀行から融資金約2億円を詐取したとして、社長の秋田新太郎ら2人が大阪地検特捜部に逮捕された。余罪は20億円を超えるとされた。平成27年(う)70号 詐欺被告事件。一審の大阪地方裁判所は懲役2年4か月の実刑判決、平成27年(2015年)7月30日に大阪高等裁判所は第3刑事部が懲役3年執行猶予5年の判決。
引用:ウィキペディア
現在は?
秋田新太郎さんの現在については不明でした。
2023年3月17日発売の著書「悪党 潜入300日 ドバイ・ガーシー一味」内で、秋田新太郎さんにインタビューをしてるようで、その時の様子が以下の様に書かれています。
カウンター横のテーブルで秋田と向かい合った。人の3倍は食べるという大食漢だというが、体は引き締まり、肥満体型ではない。バレンティノの黒のTシャツとハーフパンツという気楽な格好だ。
フランス・ブルゴーニュのロマネコンティのシャトー(ワイン生産者)まで訪ねて高級ワインを集めるほどのワイン愛好家でもある秋田。だが、この日はインタビューだからか、瓶詰めのコカ・コーラをスタッフに注文していた。
引用:講談社
さらに、同著では東谷さんことガーシーさんとの事についても触れられてて、秋田新太郎さんはガーシーさんと麻雀仲間の芸能モデルの人に紹介されて知り合ったそうです。
秋田新太郎さんはガーシーさんと麻雀をし、かなり負けてたそうです。
「東さんとは10年ほど前に、麻雀仲間だった芸能モデルの男性に紹介されて、知り合いました。東さんの麻雀の腕前はプロレベルでめちゃくちゃ強く、最初のころ俺はなかなか勝てなかった。ある時、札幌にRADWIMPSのライブを見に行く話をすると、『おーそれなら北海道で麻雀やらへん? 俺、北海道でも雀荘、めっちゃ知ってるから』って連絡がきて、わざわざ東京から1泊で北海道に遊びにきた。
持ち物はウェストポーチに下着だけをつめた軽装で。面白い人だなと思っていたけど、俺となら高額レートで麻雀をして確実に勝つ自信があるからカモだと思ってるんやろうなと悔しい気持ちもあった。結果は案の定、俺が数百万円負けたんですが、東さんは『秋田君、強なったなあ』なんて言いながら帰っていく。カモが意気消沈し過ぎないように褒めてくれるんですよね。くそーと思いましたが、麻雀は強いやつとやらないと強くなれない。いつかは絶対倒してやる、とその後も麻雀を打ち続けました」
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